古紙が大幅に余剰した90年代、全国でちり紙交換業者が生き残ったのは、関西圏と石川県だけだと言われている。関西圏で生き残ったのは、行政回収の未実施や、集団回収の浸透の遅れが主な理由。関西圏の主な理由が回収方式にあるのに対し、石川県は納入方式にある。
▼石川県の加賀製紙は1915年創業で、黄板紙・チップボール・白板紙・紙管原紙等を年間3万3000トン生産している。同社は以前から、バラもの古紙の納入を受け入れている。これが石川県でちり紙交換業者が生き残った理由ではと推測する。石川県のちり紙交換業者は、古紙問屋のヤードの他に、直接製紙メーカーに行って荷下ろしも行っていた。当時はダンプにばら積みで納入する業者も多かったという。
▼また込雑誌という加賀製紙特有の品目があることも付け加える。これは新聞と雑誌が混じって入っているものだが、メーカーとしては逆に使い勝手が良いということで、このような品目を設け、価格は新聞と雑誌の中間に設定していた。古紙余剰時代、雑誌は逆有償化したが、その時でも新聞はキロ7円だったので、込雑誌は中間のキロ3~4円。結果的にこれが業者を買い支えることになり、離散せずに済んだと言えるだろう。
まだデータがありません。
2018年12月10日
コラム「虎視」
ここ数年、明らかに新規の古紙ヤードの開設が減少した。古紙価格が史上最高値を更新しているにも関わらずである。その[...]
2018年12月10日
書評
ニューヨーク在住のエコノミストで、ニューズウィーク等のライターを務めたマルク・レビンソンが2007年に出版した[...]
2018年12月03日
コラム「虎視」
去る11月20日、東京で日中古紙セミナーが催された。約80名の製紙・古紙関係者を招聘し、中国の最新動向に関する[...]
2018年11月26日
コラム「虎視」
11月上旬と中旬に2回、中国を訪問した。11月上旬は、浙江省の山鷹紙業・嘉興工場を訪問後、福建省の廈門で行われ[...]